③雑談に使える古典のお話し

雑学(雑談)

今回は、「宇治拾遺物語」からのお話しです。

ここに描かれている物語の深さは面白さは、世界の古典に比べても負けるものではないくらいに評価されている様です。その中の一つだけご紹介致します。

~104話に「猟師が仏を射(い)た話」としてあります~

山の中の寺で長く修行をしている立派な聖(ひじり)(=僧)のところに、猟師が食べ物を届けにやってきました。すると僧は「いい日に来たな」と言いました。

「毎夜、普賢菩薩(ふげんぼさつ)が象に乗ってお見えになる。今夜は寺に泊まりその姿を拝みなさい」

猟師は泊まり菩薩を拝むことにしました。寺には小僧がいたので、猟師は「お前も見たのか」と訊くと、小僧は「5,6回みました」と答えました。

その夜、寝ないで待っていると、東の峰の方から明かりが見えてきました。見れば、白い象に乗った普賢菩薩がやってきて、僧の前に立ちました。僧は涙を流して菩薩を拝みます。すると、猟師はいきなり弓矢で菩薩を射ます。その瞬間、明かりは消え、菩薩の姿も消えます。

僧は「なんということをしたのだ」と泣いて怒りましたが、猟師は「長年修行を積まれた僧が菩薩をみることができるのはわかります。しかし私の様な殺生(せっしょう)ばかりしてきた罪深い者の目にも見えるのはおかしいと思い、矢を放ちました。本物の菩薩ならば、私の矢などあたりません」と言いました。

夜が明けてから、一行が血の跡をたどると、谷の底に大きな狸が矢を打たれて死んでいるのを見つけました。

この物語は本当の知性とは何か?ということを教えてくれている話です。いかに修行を積んだ学識高い僧でも、本当の知性がなければ狸に化かされ、何の学もない猟師でも思慮があれば狸には化かされないということ。

確かに今でも通ずる話ですよね~。社長だからとか、お金持ちだからとか、それだけでその方が人格者というわけではない。しかしながらそうやって人を見る人は実に多い。

いろいろな見方がありますが、古典から色々感じるきっかけになればいいかなあと思います。

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